イオンがカリフォルニア産米を販売 日本の食料安全保障の危機

流通大手イオンが米国輸入のカリフォルニア産米を店頭販売します。イオンのカリフォルニア産米の販売が、今後の日本の食卓へ外国産米の開放を招くものだとしたら、中共産野菜の日本への流入を導いたものイオンだったからです。

 コメの価格の高止まりや国産米の品薄が続く中で、イオンが東京の米国大使館で会見を開き、ジョージ・グラス駐日大使が同席して、カリフォルニア産の「カルローズ」という品種のコメを使った新商品「かろやか」を販売すると発表しました。価格は4キログラムで税込み2894円。6月6日から順次販売するという事です。

日本はミニマムアクセス米として、毎年77万トンを関税なしで海外から受け入れてきました。これ以外の民間輸入米には1キログラムあたり341円の関税を支払います。この関税により国産米の価格をより低く保持することで、日本の主食の自給を守ろうとしてきたはずです。

しかしそれだけの関税をかけても、イオンの販売するカリフォルニア産米は、高値の続く国産米より1割ほど安くなります。イオンの他にも流通大手の間では外国産米の販売を拡大する動きがあると言われています。という事は外国産のコメに市場を開放したに等しく、食料政策の失敗の傷口は広がっていくばかりです。

しかし消費者にとってみれば、物価高に喘ぐ中で選択肢が増え、主食のコメが安く手に入ることは有益なことではあります。消費者により良いサービスを提供することで、売り上げを伸ばしていくことも企業としては当然のことだと思います。食品スーパーであれば、安定的な価格と供給で消費者に喜ばれる食材を提供するのも当然の事だと思います。それならばとイオンが過去に切り拓いたのが、中共からの生鮮野菜の輸入だったのです。

「天安門事件のあったころですよ。日本人がいかない中国の辺境の地をまわったのは」

 中共からの生鮮野菜の輸入を開拓したイオンの当時の開発担当者が、そう答えていました。

 天安門事件は1989年です。その4年前に米国ニューヨークのプラザホテルで開かれたG5(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)で世界的なドル安傾向を容認しました。これが「プラザ合意」です。日本にはかつてない円高基調が訪れ、バブル経済がやってきました。

 一方で“強い円”を武器に日本企業はこぞって海外に生産拠点を置くようになりました。日本の生産技術を海外に持ち出し、コストの安い現地資材やインフラを利用して自社製品を生産し、日本に安く再輸入する「開発輸入」が始まっていきました。そこで食品業界がもっとも投資したのが、改革開放政策を打ち出していた中共だったのです。

 隣国の中共であれば日本への輸送距離も短く済みます。国産野菜の豊作や不作に伴う品薄や価格の乱高下を防ぐのが目的で、生鮮野菜の開発輸入に乗り出したイオンが、最初に成功したのがシイタケとネギの生産でした。

最初はマツタケが欲しかったそうですが、当時としては国産価格の乱高下の激しかったシイタケに目をつけたという事です。そこで雲南省の防空壕だった洞窟で栽培をはじめたのが成功のきっかとなりました。

 そして、その次がネギでした。当初は上海のパイロットファームでキャベツを栽培していました。これを日本向けにコンテナに積み込み、空いた隙間にネギを詰めてみたのです。それが日本に到着してコンテナを開けてみると、ネギが青々としていたのでした。そこで「いける!」となって、本腰を入れはじめたのでした。

「品薄や価格の乱高下を防ぐ」。まさに現在のコメ騒動と重なる事情です。それにも増して消費者に有益だったのは、野菜の周年化が可能になったことでした。中共南部の温厚な気候で育てることで、1年を通して安定的に供給できます。日本の鍋の季節に、ネギやシイタケが不足するということもなくなりました。

 しかし、これが先駆けとなって、日本の中共への食料依存が高まっていったことも事実です。シイタケとネギは、のちに日本政府が発動したセーフガードの対象にもなりました。開発輸入による冷凍加工食品の輸入も増え、一方で中共の「毒食」問題も露見し、それでも中共からの食料輸入額は、いまも米国に次いでいます。

 米国大使館で開かれたカリフォルニア産米の販売発表会で、イオンの土谷美津子副社長は以下のように述べました。

「価格の高止まりで明日の食事にも困っているという消費者の声を聞く。日本のコメ食文化を支えていくことが重要だ。国産米を大切にしながらも供給の安心や選択肢を提供していきたい」

しかし一度開いた門戸を再び閉じることができるだろうか、それは大問題です。閉じれば、米国が黙っていないと思われます。同席したジョージ・グラス駐日大使はこう述べています。

「世界で最も品質の妥協を許さない消費者がいる日本で販売されるのは歴史的なことだ。日本の消費者からも高い評価を得られるだろう」

 以前のように国産米の価格が安定して、外国産米より安くなれば、米国が関税の見直しを迫ってくるはずです。米国をはじめとする海外への食料依存が、主食にまで拡がってもおかしくありません。

政府が備蓄米を放出したにもかかわらず、全国のスーパーで販売されたコメの平均価格は16週連続で値上がり、4月20日までの1週間は5キロあたり税込みで4220円を記録しています。これは昨年の2倍の価格になります。

 主食のここまでの急騰は異常事態で、中共なら暴動が起きていてもおかしくはないほどの状況です。

コメの価格は下がらない理由にはいくつかの説があります。投機筋の売り渋りだとか、インバウンド需要が増加して外国人が大量に消費したからだとか、農林水産省が算定した2024年の生産量が猛暑などの影響で実際には少なかったなど、諸説飛び交っているが、どこか釈然としないと思います。ただ、コメの流通量が不足しているのは確かだと思われます。

価格が下がらない、その前になぜ価格が上がったか、という事になります。岸田石破政権が、支持率低下と衆院選敗北に対し、貴重な農家という支持基盤をより強固に広げるために、農家の収入を増やすために農協や大手スーパーと連動してコメ価格を上げたのです。しかしこのことはマスメディアにももれず一切報道はありません。しかし行き当たりばったりに価格を上げたものですから、どの時点で抑えるとか、流通業者対策もなかったことから、抑えが利かなくなってしまったのです。

 そこへきて、いわゆるトランプ関税の交渉カードに、米国からのコメの輸入量を拡大する案が政府内で検討されていると報じられました。日本のコメの輸入関税についてのトランプ大統領の批判をかわしつつ、輸入米を市場に流通させることでコメの価格高騰を抑えられる効果が期待でき、一挙両得、一石二鳥というわけです。

しかしそれでは米国の思うつぼになってしまいます。食料自給率38%(カロリーベース)にまで落ち込んだ日本は、食料安全保障を自ら放棄し、米国によって骨抜きにされるようなものです。

それは終戦から80年になる日本の歴史が証明しています。

戦後の日本は、農地解放などの政策によって食料自給率を回復させ、一時は70%を超すまでになりました。そこに転機となったのが、1960年の日米安全保障条約の更改でした。ここに両国の経済協力事項が新たに加えられることになりました。

これによって工業化が進んでいた日本は、安価で性能のよい工業製品を米国に輸出、米国からは生産性に長けた小麦や大豆、トウモロコシなどの穀物を輸入することになったのです。この対米型貿易構造を確立したことで、日本は戦後の高度経済成長を迎えました。それに伴って、日本の食料自給率は低下の一途をたどることになりました。

米国には穀物を売りたい思惑がありました。第二次世界大戦中の米国は食料の増産体制に入っていました。それは自国の防衛のためではなく、戦争終結後に訪れるはずの東西冷戦に備え、とりわけ戦場で荒廃した欧州でどれだけの国を西側に引き込むことができるか、そのために食料援助を武器にする目的だったのです。

しかし戦後から10年も経つと、欧州も復興が進み食料も自給できるようになっていきました。ということから米国内では穀物の生産過剰が問題になっていたのです。そこで目をつけたのが日本という事です。

日米安全保障条約が調印された同じころ、日本には35頭の生きた雄豚が米国から到着しました。それも直行便もない時代に米国空軍が全面協力し、プロペラ機によってハワイやグアムなどを経由しながら、種豚をアイオワ州から空輸してみせたのです。

この「ホッグ・リフト」と呼ばれる前代未聞のプロジェクトは、前年に台風で大きな被害を受けた山梨県へ、のちに戦後初の姉妹州県となるアイオワ州から友好支援として送られたものでした。一緒に養豚技術の指導員も派遣されました。

これがきっかけとなり、日本の養豚業が近代化していきました。いまでは日本で飼育されている豚の99%以上が、この35頭の何らかの遺伝子を持つとされています。

同時に太平洋を船で渡って送られたのが1500トンの飼料用トウモロコシでした。近代の養豚にはトウモロコシが必要だと教えたのです。アイオワ州は米国の穀倉地帯に位置していて、トウモロコシと大豆の生産がもっとも盛んなところです。日本のトウモロコシ需要が伸びていくことになりました。

米国の強かさを物語るエピソードですが、日本の高度成長を支えた対米型貿易構造も1980年代に入ると、米国が貿易赤字、日米貿易摩擦が問題となってきました。今回のトランプ関税のように自動車や電化製品を槍玉に上げ、農産品をもっと買えと迫ってきたのです。その上で、米国が強く求めたのが、貿易赤字削減のための円安ドル高の是正でした。

 1985年には、主要5カ国蔵相会議による「プラザ合意」でドル高が修正されることになりました。その結果、日本には円高が訪れ、戦後経済復興の絶頂といわれたバブル経済を迎えました。しかしこのバブルが弾けると同時に、日本の高度経済成長も終焉し、「失われた30年」がやってくることになります。

 今回のトランプ関税でも、米国側の狙いがどこにあるのか、憶測を呼んでいます。自動車にあるのか、農産品なのか、行き着くところは、「プラザ合意」のような米国の輸出競争力を高めるためのドル安にあるのではないか、とする見方もあります。

 農業分野でも、1988年に日米間の牛肉・オレンジ輸入自由化交渉が妥結しました。91年から牛肉輸入が自由化されました。

「プラザ合意」で“強い円”を手に入れたことは、輸入価格が下がりさらに食料自給率の低下につながることになります。

そして食品加工メーカーが海外に進出しました。強い円を利用して現地に工場を設立し、現地の安価な労働力と食材を使って現地で食品を生産しました。これを冷凍して日本へ送る「開発輸入」をはじめることになったのです。

 その拠点となったのが、中共やタイでした。中共では野菜も生産してそのままコンテナで日本に運ばれてくるようになりました。これが中共への食料依存を高めるきっかけともなり、食料自給率も下がっていったのです。一方で中共のいわゆる「毒食」が問題となり、日本の消費者心理が大きく揺れ動いたことも歴史が示す通りです。

冷凍技術、チルド技術の進歩は、豚肉の自給にも影響を与えました。養豚技術を伝え、太平洋を渡って大量のトウモロコシを日本に送り込むことに成功した米国でしたが、いまでは豚肉そのものを日本に輸出してくるようになりました。

米国は、それまで豚肉の純輸入国だったのですが、1995年には純輸出国となり、戦略物資として世界中に販売網を広げてきました。やがて世界最大の豚肉の輸出国となり、いまでも最も輸出額が多いのが日本です。日本の豚肉の自給率は、現在では50%にまで下がり、最も輸入の多い相手国が米国なのです。

日本は国土が決して広いとは言えず、1億人を超す人口の豊かな食生活を支えるには、どうしても海外に依存しなければならない事情もあります。しかし食料安全保障を守るにはコメだけは100%の自給は欠かせないはずです。いざ戦争となり、相手国からの食糧輸入に頼っていては勝負になりません。

 世界が貿易自由化へ進む中で日本は、ミニマムアクセス米77万トンを毎年受け入れてきました。貿易不均衡を避けるため、関税なしで受け入れる輸入米の量です。この77万トン以外の民間輸入には、1キログラムあたり341円の関税を支払うことになります。そうやって日本は主食のコメを守ってきました。100%の自給を維持しようとしてきたはずでした。

しかし国内のコメの高騰で、341円の関税を支払っても輸入米のほうが安く買えるという現象が起きることになってしまいました。コメの供給不足から外食チェーンでは既に輸入米を混ぜて提供しているほか、イオンでは4月から米国産米と国産米を8対2でブレンドした「二穂の匠(にすいのたくみ)」を販売しています。価格も4キログラムあたり2780円(税抜)と割安であることは間違いありません。主要商社・コメ卸だけで、2025年度の輸入量は約70万人分の年間消費量の4万トンを超え、前年の20倍前後に達する見通しとも報じられています。

 明らかに食料安全保障が内側から崩壊していると思います。その上で、政府が一時的であれ、米国からのコメの輸入を増やせば、開いた扉を閉じることは難しくなります。食料安全保障の放棄としか言えません。

 兵糧攻めという言葉があるように、食料の供給を国外に依存してしまうと、相手国に対してどうしても従属的、硬直的にならざるを得ません。米国政府が食料を、通常兵器、石油(エネルギー)に次ぐ「第3の武器」と言ったのは50年前のことです。

 日本が米国に食料を依存するあまり、あるいはそう操作されて、従属関係に陥っては、もはや植民地です。このまま、コメの自給も維持できないようでは、もはや国家としての崩壊でしかなくなります。ここへきてのコメの価格高騰、供給不足は、明らかに日本農政の失敗であり、国の存亡に関わる重大な問題です。

政権交代などあっては絶対にいけないし、岸田石破政権では不可能です。国民としてこうした状況をよく認識してください。