日本における政党とは 政治と金
日本で初めて作られた「政党」は、1900年に伊藤博文が作った政友会です。時代の流れを察知した伊藤が藩閥から政党への転換を図りましたが、政友会の本質は、国家に従属するする公党、官僚を中心とする吏党、そして伊藤の「総裁専制」たる個人政党にすぎませんでした。
その伊藤の政友会内閣さえ、宿敵・山縣有朋の切り崩しにあい、予算を通すにも四苦八苦し、党内対立の末にわずか7カ月で崩壊してしまいました。
政友会を継いで本格的に党勢を拡大したのが、1918年、「平民宰相」といわれた原敬内閣です。原敬は政党政治の正統的な継承者となりましたが、1921年に暗殺され、強力な指導者を失った政友会は2年後に分裂しました。やがて政治権力は軍部に奪われ、日本での政党の誕生は苦難の歴史でもありました。
政友会発足から125年が経ちましたが、政党が日本社会に根付いているとはいい難いのではないでしょうか。
言論NPOが2019年に行った調査では、皇室や自衛隊、裁判所や企業といった機関への信頼度が7割から8割に達している反面、政党への信頼度は23%と著しく低くなっています。多くの国民は政党について、特権や優遇を受けていると感じる反面、課題解決力があるとは思っていないのではないでしょうか。
政党の財政は寄付や機関紙売上といった自主財源と、政党交付金などの公費助成に別れます。このうち、パーティー券のキックバックや企業献金は政党の自主財源に区分され、その規制と透明化が求められています。
2024年、国会に政治改革特別委員会が設けられ、今年3月31日を期限に成案をまとめるとして議論が続けられてきました。企業団体献金について浮かび上がってきたのは、立憲や維新、有志の会などの「禁止法案」、自民の「公開強化法案」、公明と国民民主の「規制強化法案」という三つの立場です。
そして第一の論点は、企業団体献金の容認か禁止かです。
立憲や維新はカネの力が政策の優先順位を歪めているとして、その原則廃止を求めています。他方、自民党は2023年に党本部と政党支部とをあわせて約42億円の企業献金を受けており、その存続は死活問題となっています。
国民民主や立憲には労働組合からの献金があり、これらは事実上の企業献金の性格もあり、国民民主は本音では企業団体献金の廃止に消極的であるふしもあります。
第二の論点は企業献金を温存する代わりその透明化を訴えるもので、自民党は年間1000万円以上の献金をした企業の公開を唱えています。しかし、1000万円という額に特段の必然性はなく、自民党のこだわりも弱いものです。
そうした中で3月下旬に公明と国民民主が提示した第三の論点が、献金の受け取り口を党本部と都道府県連に限るという規制強化案であり、文字通りにとれば企業献金の窓口は48に限られることになります。
自民党は2025年1月現在で7766の地域支部や職域支部を持っており、その数は公明党の425支部や立憲の370支部と比べて突出しています。それらの支部もまた個別に献金を受領できるため、政治資金を扱う「財布」になってきました。献金の受け手を党本部と都道府県連に限る案は、献金の透明化を図る上で極めて実効的だと思います。
政治改革特別委員会は、この国会で具体的な改善策をまとめるべく、不退転の決意で議論を再開させるべきです。
政治改革特別委員会のなかで、自民党小泉進次郎は「企業献金性悪説」を否定しながら、「今、全く議論がないのが政党交付金の減額だ」として、政党助成法の改革へと議論を促してきました。
この小泉提言に対しては、イエス&ノーというしかありません。政党交付金への注意喚起が企業団体献金の弊害から目をそらせるための「論点ずらし」であればあまりに党派的です。
その反面、政党交付金の改革こそ本丸とは、期せずしてその通りであることも事実です。メディアも国民も不思議なもので、違法な金は少額でも大騒ぎしますが、合法的な金はその桁が遥かに多くても素通りしてしまいます。
小泉進次郎に提言能力はなく、実父を支えた周囲のブレーンが引き継いでいます。
自民党の派閥がパーティーで蓄えた裏金は年間2億円程度なのに対し、自民党が政党交付金として受け取る金額は年間160億円に上っています。2億円の裏金に青筋たてるなら、合法的に振り込まれる160億円の妥当性を見直すべきだと思います。
政党交付金は、企業団体献金とともに、トータルで政党の財政を時代に添う形にすべく議論すべきです。
元来、政党は市民社会の私的結社として出発しましたが、1970年代以降、先進国の政党はその財政を国家助成に依存することによって、いわば国家機関の一つになってきています。
政治学者のカッツとメアは、このような現代の政党の特徴を「カルテル政党」と名づけています。
カルテルとは、「複数の企業が協定を結んで自由競争を制限すること」と定義されますが、近年の政党は生き残り戦略を共謀し、国家からの政党助成制度に依存してきたというのです。
事実、2022年段階で、OECD38カ国のうち32カ国でなんらかの政党への公費助成が導入されています。
浅井直哉『政党助成とカルテル政党』(勁草書房、2023年)では、この「カルテル政党」の理論を日本にあてはめたもので、1994年の政党交付金の導入以降、日本の政党が公費依存になっていく過程を説得的に論じています。
2024年現在、政党交付金の総額は315億円であり、その配分額は自民党に156億、立憲民主党に70億、日本維新の会に33億、公明党に28億、国民民主党に12億に配分されています。各党の全収入のうち公費助成が占める割合も、自民が7割、立憲や維新は8割、国民民主は9割を超えています。

政治学者カッツとメアによれば、政党の公費依存とカルテル化は、ヨーロッパにおいてポピュリズムの台頭を招いているといいます。既成政党は寄付や党員拡大といった地道な努力を回避し、国家からの助成制度に寄生してきました。
その結果、政党が社会から乖離し、社会の多様な利害や価値観を代表する能力を低下させたと言えます。社会に取り残された民意は既成政党を迂回して新興のポピュリスト政党にその表出先を求めてきたのです。
このように、政党の過度な公費依存が政党政治の流動化を招くことも一つの真理だと思います。
概して言えば政党の財政を支える自主財源と公費助成は、それぞれに利点と難点があります。
自主財源は、利点としては政党が寄付や献金、事業収入によって有権者と繋がり、市民社会に根付いています。他方、難点としては、資金力のある企業が過度な影響力を行使し、「金権政治(plutocracy)」を招く恐れがあります。
もう一方、公費助成は、制度設計によっては政党の金権腐敗を防ぎ、政党の競争条件の公平さを担保します。しかし難点としては、政党の助成金依存を進め、政党を市民社会から乖離させてしまいます。
という事であれば、改革の方向性は、双方の難点を規制し、利点を促進する発想が必要になります。つまり政党の自主財源を強化・透明化させながら、公費助成を合理化・公平化させることしかありません。
自主財源のうち弊害の大きな企業献金については、献金の受け手を政党本部と都道府県連に限るという提案を軸に、政治改革特別委員会での議論を急ぐべきです。あわせて、政党の助成金依存を緩和させるため、個人献金の促進が急務です。個人による政治活動への寄付につき、控除額を現行の30%から引き上げ、その適用対象も拡大すべきです。
次に公的助成、すなわち政党交付金については、各党に配分される交付金の上限を前年収入の2/3とする「三分の二条項」の復活や、交付上限額を一律に100億円までとするなどして、政党の過度な交付金依存を抑制していく必要があります。
また、与野党の競争条件の公平化をめぐり、政党交付金の配分基準を議員数から得票数に変えることも現実的な案です。
第一党が過剰代表される小選挙区制の下では、議員数に基づく配分は有権者の意思を正確に反映しておらず、むしろ比例区得票率に基づいて交付金を配分することが望ましいのではないかと思います。
また、女性や若者など多様な属性の当選者に応じて政党交付金の傾斜配分する改革も、国会の活性化を促すのではないかと思います。
1993年の政治改革から30年の時を経て、今再び、直面する課題に向きあってこその政治改革だと思います。
