尖閣と日中関係
1992年、中共は領海法という国内法を突然発表、尖閣諸島を釣魚島と呼んで中共領土と宣言しました。
その後、日中両国の尖閣諸島に対する言動は対立のままとなりました。中共側による日本への敵対的言動も具体的に表面化もしました。尖閣諸島をめぐる日中両国の対立は危険度が極めて高いものです。中共側が軍事力を使ってでも、その占拠を辞さないという姿勢だからです。
日本政府は尖閣諸島の日本帰属はあまりにも明白であり、疑問の余地はないから、領土紛争は存在しない、という立場を公式にとっています。つまり日本側の主権や領有権に疑義はない、ということです。これは当然と言えば当然の事であり、その根拠も極めて明快です。
日本国が東シナ海の尖閣諸島を自国領土だと公式に宣言したのは1895年(明治28年)でした。それまでの10年間、この無人島が他のどの国も主権や領有権を主張していないことを確認したうえでの領有権宣言でした。
その後の50年間、尖閣諸島は日本領土として国際的にも認知されてきました。日本が実効支配し、日本人が漁業などのために居住するという状態も続きました。日本が第二次大戦での敗北で一連の領土を失う過程での1943年のカイロ宣言、1945年のポツダム宣言でも、尖閣諸島は影響を受けませんでした。
ただし1945年8月の日本の敗戦とともに、尖閣諸島はアメリカ合衆国に占領されました。沖縄の一部とみなされての措置でした。
1951年のサンフランシスコ講和条約でも尖閣諸島は日本の領土の放棄対象には含まれませんでした。だがその施政権はアメリカに与えられ、沖縄とともに暫定的にアメリカの統治下におかれたのです。
その尖閣諸島のアメリカによる統治は1972年5月の沖縄の日本への返還まで続く。この期間、尖閣諸島はアメリカ軍の射撃演習の場にも頻繁に使われた。だが沖縄返還とともに尖閣諸島は疑いなく本来の日本固有の領土へと戻ったのである。
中共と中華民国(あえて言います、臺灣ではありません。)が、尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは1968年以降です。
それまでは日本の主権や領有権になんの留保をもつけていなかったのです。この中共側の新たな動きは明らかにこの時期に国連機関の調査により、尖閣諸島周辺の海底に石油や天然ガスの資源が埋蔵されているという可能性が示されたことでした。
この調査は国連アジア極東経済委員会(エカフェ ECAFE)という機関によって実施されました。この機関は国連経済社会理事会の地域委員会の一つで、アジア太平洋地域の経済、社会開発のための協力機関でした。
日本は1972年9月に中華民国と断交して、中華人民共和国、つまり北京政府との国交を樹立しました。その結果、尖閣諸島の主権問題も、当面は北京政府が相手ということになりました。ところが当初は北京政府も日本側へのかなりの抑制をみせていました。
中共は1972年 当時の周恩来首相が田中角栄首相に「(尖閣問題については)いまは話したくない。石油が出るから問題になった。石油が出なければ、アメリカも中華民国も問題にしない」と述べていました。
日本側では1975年に宮澤喜一外相が「棚上げで交渉という事実なし」と述べてしまいました。当時、日中双方の一部に「尖閣問題は日本側が中共側の要求をある程度認める形で、今後の交渉のため棚上げすることに同意したのだ」という推測を否定する宮澤氏の言明でした。
さらに1978年には日中平和条約交渉で来日した鄧小平国家副主席が「自分たちの世代には智恵がないから次の世代に任せたい」と語りました。これに対して当時の福田赳夫首相はなにも述べなかったのです。無言という事が、了解したと取られても仕方ありません。
中共側もこの期間、尖閣諸島の主権や領有権に関して、日本側の主張を否定して、自国の主張を前面に出すという態度はまったくとりませんでした。ところがこの態度が一変したのが1992年でした。
中共政府は1992年4月、領海法という中共の国内法を突然、発表し、そのなかで尖閣諸島を釣魚島と呼んで中共領土だと宣言したのです。国内法で他国の領土を一方的に奪取するという中共独自の手法です。
その後、日中両国の尖閣諸島に対する言動はまったく対立のままとなりました。とくに2012年には日本側が尖閣諸島を国有化すると、中国共側の反発が激化しました。尖閣諸島の地主はそれまで日本側の民間人でした。その国有化の措置がいかにも中共側の反発を招いたという指摘がありますが、これは正確ではないと思います。
尖閣をめぐる日中衝突の原因は、絶対に日本側が作ったのではありません。
中共側はすでに2005年ごろから尖閣諸島の海域への正面からの侵入を始めていました。当時のこの侵入部隊の母体は国家海洋局と呼ばれていましたが、その後の2013年には国家海警局と改称されました。いずれも中共人民解放軍の海軍の指揮下にある人民武装警察の部隊です。
2010年にはこの中共海警の司令下にある漁船が日本領海に侵入し、さらにその動きに警告を与えた日本側の海上保安庁の船に意図的に体当たりしました。
中共海警は一般の武装艦艇の下部に「民兵」という組織を有しています。この「民兵」は一見は小型の漁船にみえるのですが、多くは武器を持っており、中共海警の命令で行動します。ですから中共漁船というのも多くはこの武装組織の末端なのです。
日本側は中共側のこうした武力を踏まえた攻勢に、肝心の尖閣諸島が民間所有では国家として適切な対応ができないと判断したのです。その過程では当時の東京都知事石原慎太郎氏が尖閣を私有から東京都の所有にしようと動いたという経緯がありました。
当時の民主党の野田毅政権はこの動きに対して、大あわてで、国家による尖閣諸島の買収という手段をとったのです。その背後には対中強硬派とされる石原氏に事態を任せておいては、なにが起きるかわからないという心配があったと思われます。
しかし中共側はこの民主党政権の尖閣国有という措置に猛反発して、中共の国内の日本の公的施設や商業施設の破壊をも含む大規模な「反日暴動」までをも引き起こしました。もちろん政府の意向による日本への威喝行動でした。
日本のメディアや一般の関心がパリ・オリンピックやアメリカの大統領選に集まるなかで、日本と中共との間でまた新たな動きが頭をもたげてきました。日本にとっての中共との関係はいうまでもなく、国家の根幹にかかわる重大事です。
まずは岸田政権の閣僚や自民党の要人による北京訪問です。もっとも顕著なのは自民党の森山裕総務会長の7月23日の王毅外相との会談でした。森山氏はこの会談の総括として「中共との戦略的互恵関係を推進したい」という声明を読み上げていました。なんと日本側がまた中共側にすり寄るという構図だったのです。
同時に日本製鉄が中共の宝山鋼鉄との合弁事業を止めることが報じられました。この日中の鉄鋼の結びつきは日本が中共側を全面支援するという方式で1977年に始まりました。以来、半世紀、日中友好のシンボルのようにみられてきた結びつきでした。その絆が終わるという事になりました。
上記の二つの出来事は日中関係の現状を物語ります。岸田首相下の自民党中枢は中共側に媚びるように接近しています。中共要人と会っても、中共側の不当な言動にはまず抗議しません。
他方、鉄鋼業界では日本側の最大手が中共との縁を切るということになりました。日本の経済界には中共政府が日本企業駐在員を根拠も示さずに逮捕し、拘束することへの不満や恐怖も根深いものがあります。
この自民党と日本経済界の態度は奇妙なコントラストを描いていると思います。接近と離反と、いずれも日本側が右往左往する形です。この構図は近年の日中関係ではなじみの光景だといえるほどです。
日本にとって中共との関係は国家の運命をも左右する重大要素です。この点、日本の対アメリカ関係にも別な意味で匹敵します。ですから日中関係のあり方、その基盤となる中共側の日本への政策や戦略、さらに日本側の対応は日本のまさに国運にかかわる致命的な現実なのです。
アメリカは周知のように1970年代前半から当時のニクソン大統領が中共への電撃的な接近を図りました。やがてはそれまでの中華民国との同盟関係、外交関係を断ち、中華人民共和国との正式の国交を樹立しようとする基本の方針でした。
このアメリカの突然の動きは当時、日本には事前に知らされず、日本側では「ニクソン・ショック」としての衝撃波となりました。しかしニクソン大統領はその後、自分自身がウォーターゲート事件というスキャンダルへの関与を非難され、任期途中で辞任しました。その結果、中共との国交樹立は大幅に遅れました。
アメリカが中華人民共和国との国交を樹立したのは1979年1月1日、民主党のカーター大統領の時代でした。
その直後、中共側の最高指導者の鄧小平氏がアメリカを訪れ、ホワイトハウスで歴史的な米中国交樹立の文書に署名しました。
中共は日本に対しては多層な悪意や敵意を抱き、その背後には日本という国家への威圧や侵害の意図を有する構図が浮かんできます。
いまの日本と中共との間で起きてきたトラブルの類は全て中共側からの言動という事を認識してください。
日本岸田政府はあたかも上記の中共側の日本への敵対的言動がないかのように、中共側にすり寄るような姿勢を見せ始めたとしか見えません。
日中関係を2024年夏という時点で見直すために、いま日本と中共の間で具体的になにが起きているかを知ってください。日本側からの視点という前提で、中共側が最近、日本に対して仕かけてきた言動を上げます。
第1は、中共の武装艦艇による日本固有の領土、尖閣諸島海域への恒常的な侵入です。
中共人民解放軍の傘下にある中共海警局の武装艦艇が文字通り、連日のように日本の領海やそのすぐ外側の接続水域に無断で侵入してきています。中共側は周知のように尖閣諸島を自国領土だと主張しています。しかしその主張には根拠がなく、国際的にみても「現状を武力で変えようとする暴挙」です。しかし中共側はすでに尖閣諸島が自国領であるかのように平然と不法侵入を重ねています。
第2は、中共政府による日本の水産品の輸入の一方的な全面禁止です。
中共政府は2023年8月、日本からの水産物の輸入を全面禁止にしました。日本側による廃炉になった福島の原子炉の処理水放出に対して、その水が汚染水だと一方的に断じての措置でした。この処理水になんの汚染もないことは国連機関の国際原子力機関(IAEA)やアメリカ政府の食品医薬品局(FDA)が公式に認めています。
第3は、日本駐在の中共大使による日本への軍事攻撃の脅しです。
中共の日本駐在の呉江浩大使は今年5月末、東京都内の中共大使館での日本側各界の代表たちとの会合で、日本がもし臺灣有事にかかわるなど、臺灣支援の一定限度を越える行動に出れば、「日本の民衆は火の中に連れ込まれる」と言明したのです。
明らかに軍事的な恫喝であり、日本も舐められたものです。その背景には中共の軍事専門家集団が2021年7月、臺灣有事で日本の自衛隊が出動すれば、中共は日本本土に核ミサイルを撃ちこむというシナリオを描いた動画を発表した事実があります。
第4は、中共当局による中共領内での日本企業駐在員の一連の逮捕です。
中共外交部の報道官は今年3月の記者会見で日本のアステラス製薬の中共駐在の日本人社員がすでに一年近く中国当局に拘束、逮捕されていることを発表しました。その容疑は「反スパイ法違反」ということです。しかしその具体的な内容は一切、秘密のままです。
中共ではこの法律が制定されて以来、日本人がこれまで合計17人が逮捕されてきました。この措置は被疑者側の権利を無視する不透明、不公正な抑圧としか言えません。
第5は、中共人の集団が今年5月、靖国神社の石柱に落書きをした事件です。
東京地検は靖国神社の神社名を刻んだ石柱に赤いスプレーで「Toilet(便所)」と大書した中共籍の29歳の男を起訴しました。この男は他の2人の中共人とともに、落書きをして、器物損壊と礼拝所不敬の罪状で摘発されました。
靖国神社への意図的な侮辱です。他の2人の容疑者はすでに中共に帰国していました。中共一般が政府の政治教育により日本の靖国神社を敵視するという背景が改めて注視されました。
以上の5つの具体的な実例は中共側の官民での日本への敵意を示しています。第1の事例は領土侵害、第2の例は経済威迫、第3は軍事恫喝、第4は日本企業抑圧、第5は日本の戦没者の冒涜と、総括することができます。
これらの具体例をみると、中共の政府も人民も日本に対しては多層な悪意や敵意を抱き、その背後には日本という国家への威圧や侵害の意図を有する、という構図が浮かんできます。
中共政府が日本政府との間で合意するとする「戦略的互恵関係」という響きのよい標語とはあまりにかけ離れた現実です。
当然ながら日本側は中共に対して同じような行動や措置はまったくとっていません。中共の固有の領土に不当に侵入することは絶対にありません。中共からの産物を一方的に輸入禁止にするような措置もとっていません。まして軍事的な恫喝などあるはずがありません。さらに日本国内にいる中共企業の駐在員を容疑も公表せずに逮捕など決してしません。また日本国民が中共領内の国民的追悼を表す施設に侮蔑的な落書きをするはずはありません。
要するにいまの日本と中共との間で起きてきたトラブルの類は全て中共側からの言動なのです。その結果、日本の国民の間での中共に対する認識や感情は当然ながら悪化の一途をたどることになります。
「日本側はなにも敵対的な言動をとっていないのに、一体なぜ?」という疑問につながります。ですから最近の日本側の世論調査では中共への警戒や不信を感じるという人が圧倒的な多数となっています。
しかし日本政府岸田総理、そして自民党は国民レベルでのそうした現実を無視するかのように、あたかも上記の中共側の日本への敵対的言動がないかのように、中共側にすり寄るような姿勢を見せ始めているのです。
つまり岸田総理は、宏池会が、親中共であり、中共の味方とまで言われる宏池会NO2の林氏が、外務大臣をやり、その後内閣官房長官についているからです。
ですから今度の自民党総裁選、せっかく岸田総理が下りるのですから、親中共筆頭の河野太郎、総理になりたいだけの石破、そして地頭の悪い小泉など、絶対に総裁にしてはいけません。
