果たして日ロトップ会談は、成功か失敗だったのか

購読記事をご覧の皆様、本年最後の更新です。日ロトップ会談、やはりマスメディアによる空気を読めない報道が・・・

購読記事、会員の皆様へ。本年一年ご支援賜りありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。新年は、5日より始動します。

安倍総理の地元山口県にプーチン大統領を招待してのトップ会談。その成果に様々な意見が出ており成否が何かと取りざたされています。果たして真実はどこにあるのでしょうか?諜報インテリジェンスとして、情報を交えながら解説します。

まずこの12月15日という日、次期アメリカ大統領が決まり、就任まで一か月という期間になります。アメリカとしては現大統領であるオバマ氏はもう退任することでありあまり日ロ関係に言及することもありません。日ロである程度自由に防衛協力の話までもできることになりました。
そしてオバマ大統領には昨日、パールハーバーを慰霊訪問し、改めて日米トップ会談を実現させ顔を立て、日米関係の確認もしました。

この日程で進められたことにまずは大きな意味を持ちます。そして安倍総理は既に来年の5月と9月にプーチン大統領との日ロトップ会談を予定しており、事務レベルでは既に折衝も始まっています。
この来年の二回にわたるトップ会談、当然のことながら領土問題があります。

安倍総理の対ロシア外交の新たな戦略として自衛隊と露軍の防衛協力の強化を柱に据えています。当然のことながらその目的は中共です。今回の日ロトップ会談、一番嫌がったのはは中共です。一部約束されたロシアとの経済協力も、エネルギー問題として中共は日ロから影響を受けるようになり、さらに日ロでの防衛協力も合意されました。日露首脳会談で合意した外務・防衛閣僚級協議(2プラス2)の再開はその第一歩となります。

同盟国である米政府が抱く日露接近の懸念を振り切ってまで日露防衛協力を急ぐのは、中共の軍事的脅威が眼前に迫った現実的な危機があります。防衛省・自衛隊ではロシア軍との協力が必要との認識が高まっていたのです。
シーレーン(海上交通路)である太平洋、インド洋、北極海で支配する領域を膨張させようとする中共を押さえ込むには、日ロが連携しあえる分野が防衛であることは間違いありません。

日ロ両政府は平成25年11月の2プラス2で、海上自衛隊と露海軍の共同訓練を従来の捜索・救難からテロ・海賊対策への拡大で合意していました。 ところがあのウクライナ危機で中断をしていたのです。

そして北方四島です。簡単に北方領土について経緯を解説します。

日魯通好条約 安政2年 1855年 (孝明天皇 江戸幕府は徳川家定)
日本は、ロシアに先んじて北方領土を発見・調査し、遅くとも19世紀初めには四島の実効的支配を確立していました。日ロ通好条約により、択捉島とウルップ島の間の両国国境をそのまま確認しました。

樺太千島交換条約 明治8年 1875年
千島列島をロシアから譲り受けるかわりに、ロシアに対して樺太全島を放棄しました。

ポーツマス条約 明治38年 1905年
日露戦争において、日本はロシアから樺太(サハリン)の北緯50度以南の部分を譲り受けました。

ポツダム宣言受諾 昭和20年8月 1945年
日本が略奪した(昭和18年のカイロ宣言での表現)地域からは追い出される、つまり放棄させられた。北方四島は日本固有の領土でありその対象ではありませんでした。
日本とロシアの間には、昭和16年 1941年4月に日ソ中立条約が締結され、昭和21年4月までは有効でした。

まだ有効であった日ソ中立条約を無視して、昭和20年8月9日に対日参戦したソ連は、日本のポツダム宣言受諾後も攻撃を続け、同年8月28日から9月5日までの間に、北方四島を不法占領しました。四島の占領の際、日本軍は武装解除をしており抵抗していません。つまり強奪されたのです。

サンフランシスコ平和条約 昭和26年9月 1951年
ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しました。しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれていません。また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利を主張することはできません。

その後の経緯

日ソ共同宣言 昭和31年 1956年
平和条約に代えて、戦争状態の終了、外交関係の回復等を定めた日ソ共同宣言に署名しました。
歯舞群島及び色丹島については、平和条約の締結後、日本に引き渡すことにつき同意しました。

田中総理訪ソ 昭和48年 1973年
ブレジネフ書記長は、北方四島の問題が戦後未解決の諸問題の中に含まれることを口頭で確認しました。

このころから、一方で日ロに領土問題は存在しないと主張しだした。

ゴルバチョフ大統領の訪日 平成3年4月 1991年
海部総理と会談。日ソ共同声明において、ソ連側は、四島の名前を具体的に書き、領土画定の問題の存在を初めて文書で認めました。

この年12月にソ連崩壊

エリツィン時代
エリツィン大統領の訪日 平成5年10月 1993年
東京宣言(第2項)において、
(イ)領土問題を、北方四島の帰属に関する問題であると位置付け、
(ロ)四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化するとの手順を明確化し、
(ハ)領土問題を、1)歴史的・法的事実に立脚し、2)両国の間で合意の上作成された諸文書、及び、3)法と正義の原則を基礎として解決する、との明確な交渉指針を示した。

また、東京宣言は、日本とソ連との間のすべての条約その他の国際約束がロシアとの間で引き続き適用されることを確認した。

クラスノヤルスク首脳会談 平成9年11月 1997年
橋本総理・エリツィン
東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす。

川奈首脳会談 平成10年4月 1998年
川奈合意  橋本総理。エリツィン
平和条約が、東京宣言第2項に基づき四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けての日露の友好協力に関する原則等を盛り込むものとなるべきこと。

そしてプーチン時代を迎えます。その経緯についてはここ10年くらいのことであり、おそらくよくご存じと思われますので省きます。ただ一言でいえば一進一退の硬直状態でした。民主党の時代には何もありませんでした。
安倍総理は、就任してからの約四年間で今回のトップ会談までこじ開けたと言えるのです。

今回の日ロトップ会談、事務レベルでは安倍政権誕生とともに交渉は始まっていました。安倍総理・プーチン会談もこれまでに16回を数えています。

今回のトップ会談が成功なのか失敗なのか。評価を今現在で議論する必要はありません。
ただ言えることは、9月頃は盛んに二島返還、その功績をもとに衆議院解散総選挙、そして自民党大勝利と、各メディアが異常ともいえるほど騒ぎました。

現実にこれまでの流れそしてプーチンの言動から十分にあり得た話でしたし、事務レベルでもそのように順調に進んでおり、それに伴う経済支援までも準備されていました。
ところが各メディアがあまりにも騒ぎ過ぎたために、それならとロシア側からの要求があまりにも高くなってしまったのです。
それを契機に一気に、二島返還論がトーンダウンしています。

確かに安倍総理の側近からも、その見通しが立ち情報が漏れたにしろ、マスメディアの報道は行き過ぎでした。ですからマスメディアもその責任を感じ、表立って今回の日ロ会談での安倍批判には至っていません。一部の野党や左翼のただ安倍批判ありきだけになっているのです。
極論になるかもしれませんが、今回二島返還のロシア側の言及がなかった原因はマスメディアにあると言えます。

一方で、鈴木宗男や佐藤優という「ロシアに恋した人、ロシア利権にしがみつく人」の主張に影響されすぎたのではないかと思います。今年春ごろからの安倍総理との急接近は、政策というより北方四島をにらんでのものでした。

ロシアという国は、は日ソ中立条約を一方的に破棄して、8月15日・日本の敗戦後も、武装解除した日本軍に襲い掛かった野蛮な国家です。満州では日本人女性を強姦しまくり、60万人もの日本兵をシベリアに強制送還して、地獄の強制労働で数万人の死者を出した冷血国家でもあることを忘れてはいけません。
ましてや現在日本は、クリミヤ問題で西側諸国と足並みそろえ、ロシアに経済制裁中です。

外交における成功や失敗は、当初に設定していた目標をどの程度達成したかによって評価されると思います。日本政府は今回の首脳会談で形式だけでなく、実質的に領土問題、経済協力を含む重要事項について交渉できる環境が整えられることを目標にしていました。そしてこの目標は十分に達成されたといえます。

16日に東京で行われた共同記者会見でプーチン大統領は、「(安倍)首相の提案を実現していけば、この島は日露間の争いの種ではなく、日本とロシアをつなぐ存在になり得る可能性がある。(中略)首相の提案とは、島での経済活動のための特別な組織を作り上げ、合意を締結し、協力のメカニズムを作り、それをベースにして平和条約問題を解決する条件を作り上げていく。われわれは、経済関係の確立にしか興味がなく、平和条約は二次的なものと考えている人がいれば、これは違うと断言したい。私の意見では、平和条約の締結が一番大事だ」と述べました。

わかりやすく言い換えると、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島で日露双方の法的立場を毀損しない形態で経済協力を行うことで信頼関係を強化し、昭和31年の日ソ共同宣言で合意された平和条約締結後の歯舞群島、色丹島の日本への引き渡しの環境整備をしていくという考えをのべたものなのです。

安倍総理もロシアに対して譲歩し、「四島の帰属に関する問題を解決して平和条約を解決する」という平成5年10月の東京宣言の内容を一度も述べなかったのです。これは、四島の帰属問題だけに焦点をあてた「東京宣言至上主義」からは、日本政府が一応は固執しないということを示したことになるのです。

日ロ両国は、領土問題をまず解決するという「入口論」から、包括的かつ戦略的な関係を発展させて、その結果として近未来に領土問題の妥協的解決を実現するという「出口論」に交渉方針を転換したということなのです。北方四島における共同経済活動が来年前半に始まれば、歯舞群島と色丹島が数年以内に日本に引き渡される可能性が十分あるということがいえます。

その目玉に、なんとしても国会決議を目指した、カジノ法案があるのです。北方四島でのカジノリゾート、まさしく両国の主権を超えた領域での経済活動になり得ます。カジノ関連法は北方領土という問題も背景にあるからこそ、国会決議でロシアにいわば回答を示しているのです。

今年5月にソチで行われた13回目の安倍・プーチン会談の際、陪席した世耕弘成官房副長官(現経産相)が、「8項目の経済協力」を大々的に掲げました。プーチン大統領は大袈裟に拍手して、周囲にも拍手させ、「セコウという名前は永遠にクレムリンに刻まれるだろう」と持ち上げました。

プーチン大統領としては、クリミア問題で経済制裁を続けるG7にクサビを打ち込もうとしたわけですが、この発言に世耕副長官が舞い上がってしまい、安倍総理をリードして、ロシアにのめり込んで行ってしまいました。私として世耕氏は、その器でもないことがはっきりし、領土問題からは外すべきだと思います。簡単に外国の罠にはまっているようではとても外交など担えません。ましてや領土問題は普通の外交の何百倍と言えるほどタフな問題です。

プーチン大統領の認識としては、北方2島は「返還」ではなく「引き渡し」なのです。つまり2島を日本に割譲するというものなのです。できる限りの経済支援、言い換えればできるだけ高く売り渡すと考えてもよいと思います。

それまでは国後、択捉を含めた北方4島での日ロ共同経済活動を推進し、成果を両国が利益として分かち合う、これが引き分けなのです。
2島に限って日本の潜在主権を認めるという「沖縄返還方式」を習ったと言えます。

沖縄返還が実現するまで同地の潜在主権を認めるが施政権は米国にあった先例に倣うものだと思います。

読売新聞(20日付朝刊)が報じたように、安倍総理が土壇場で、当初はロシア側事務方が北方領土における共同経済活動の対象は歯舞、色丹両島のみと主張していたのを4島すべてにひっくり返しました。安倍総理とその周辺が、とりあえず今回は成功という理由です。

上記述べた来年5月と9月に予定されている、安倍・プーチン会談、その結果を見て今回のトップ会談が成功か否かの答えが出ることになります。

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