「年収の壁」よく理解してください

衆議院で自民党・公明党の与党が過半数を割り込んだことに伴い、いわゆる「103万円の壁」がいま、大きな注目を集めています。キャスティングボートを握った形の国民民主党が与党側に「103万円の壁」の見直しなどを求めて攻勢をかけているからです。

 10月の衆院選で議席数を選挙前の7議席から28議席へと4倍に増やした国民民主党は、「手取りを増やす」「若者をつぶすな」をスローガンとして選挙を戦ってきました。選挙後は自党の政策を実現させるため、自公政権との協議に入っています。その柱が「手取りを増やす」に通じるとする「103万円の壁」の見直しです。

話はそれますが、国民民主への票の流れは、安倍自民党を支持する若者が、石破自民党を嫌い国民民主への投票となったとの分析もあります。

国民民主党の玉木雄一郎代表は11月3日、フジテレビの番組に出演し、「103万円の壁」の見直しについて、「恒久的な措置としてぜひやっていきたい。年末の税制改正の中にぜひ入れてもらいたい」と述べ、年収が103万円を超えると所得税が課税される「103万円の壁」を見直し、所得税の基礎控除などの金額を引き上げるよう求めました。さらに、玉木代表は次のように述べました。

「(私の求めに対し自民党が)全くゼロ回答だったら当然、1票を投じてくれた有権者の皆さんにも説明ができないので、われわれとしてはやはり(自公政権に)協力できない。協力する理由もないということになる」

 玉木代表は同様の発言を繰り返しており、「(与党側が)見直しをまったくやらないのであれば、その時は予算案も法案も通らないということだ」と与党側へのけん制を続けています。

 与党内には、国民民主党の主張どおりに基礎控除などの金額を引き上げると、国・地方で総額7兆〜8兆円の歳入減が見込まれるとして、安易な妥協を危険視する向きもあります。他方で、国民民主党の協力を得ながら政権運営に臨むべきだとの意見も強く、この問題は当面、政界の大きな焦点になる見通しです。

 では、「103万円の壁」に象徴される「年収の壁」とは、どのようなものなのか具体的に見てみます。

勤労者が徴収される税金や社会保険料は、収入が増えるにつれ、階段のステップを踏むように段階的に増えていきます。その際、あるステップでは徴収される金額が年収増よりも多くなり、手取りが減少する「逆転」が生じる場合があります。そのため、勤労者は手取りが減少しないよう労働時間を抑制したり、働きたいのに働くのをやめたりという選択肢を取る現象が生じます。これが「年収の壁」と呼ばれるものです。

「壁」には3つの種類があります。「税金の壁」「社会保険の壁」、そして企業などが独自に設けている「配偶者手当に関する壁」です。

「税金の壁」

 税金は「収入」(いわゆる総支給額)から「必要経費」(給与所得者の場合は給与所得控除など)を差し引いた「所得」に対して、一定の割合で課税されます。

【100万円の壁】

 年収の低い方から見ていくと、最初に現れるのが「100万円の壁」です。これは住民税の支払いが発生する境目となります。年収100万円までは住民税も非課税ですが、これを超えると、以下の住民税が発生します。

◎年収101万円−控除総額98万円(基礎控除43万円+給与所得控除55万円)=3万円(個人住民税の課税対象額)

 個人住民税は「所得割」と「均等割」で構成されます。所得割の税率は10%で、内訳は道府県民税が4%、市町村民税が6%(東京都の場合は都民税4%、市区町村民税が6%)です。

均等割は「地域社会の会費」的なもので、税額は4000円(道府県民税が1000円、市区町村民税が3000円)程度です。

 次に現れるのが「103万円の壁」です。

1年間の収入が103万円までの場合は非課税ですが、103万円を超えると所得税が発生します。

◎年収104万円−控除総額103万円(基礎控除48万円+給与所得控除55万円)=1万円(所得税の課税対象額)

 一方、給与所得者を対象とした控除(必要経費)には、憲法の生存権に基づく「基礎控除・48万円」、すべての給与所得者に適用される「給与所得控除・55万円」があります。つまり、年収が103万円以下ならこの控除総額103万円によって所得がゼロとなり、所得税がかからなくなるため、パート労働者などは年収が103万円を超えないよう労働時間を調整しているとされてきました。

 これが、いま問題となっている「103万円の壁」です。国民民主党の提案はこの控除総額を現行より75万円引き上げて、トータルで178万円にするという内容です。この減税によって手取りが増えるうえ、課税を嫌って仕事量を抑えていたパート労働者たちがもっと長い時間働くようになり人手不足も緩和される、と同党は主張しています。

 このほか、配偶者控除・配偶者特別控除に関わる「150万円の壁」「201万円の壁」も存在します。

【106万円の壁】

 次に問題となるのは、健康保険や厚生年金保険の支払いが生じる「社会保険の壁」です。一般には「106万円の壁」と呼ばれてきました。

 従業員101人以上の企業で働く人が、月額賃金8.8万円(年収換算で約106万円)、週の労働時間が20時間以上などの条件を満たす場合、パートタイマーであっても社会保険に加入させなければならないというルールがあります。今年10月からは「従業員51人以上の企業」で働く人にもこの要件が適用されることになりました。

【130万円の壁】

 一方、年収130万円に達すると、すべての人は社会保険に加入し、国民健康保険や国民年金の保険料を支払わなければなりません。これが「130万円の壁」です。

 ここで問題になるのが国民年金の「第3号被保険者」です。第3号被保険者とは、会社員や公務員(第2号被保険者)に扶養されている配偶者であり、かつ、原則として年収が130万円未満の20歳以上60歳未満の人を指します。

現実には、その多くがサラリーマンの妻です。妻は年収130万円を超えない限り、個別に社会保険料を支払う必要はありません。

 そのため、社会保険料の支払い義務が発生することを嫌って、多くの女性が「就業調整」することがわかっています。

 厚生労働省の「パートタイム・有期雇用労働者総合実態調査」(2021年)によると、配偶者がいる女性のパートタイム労働者のうち、21.8%は実際に就業調整していました。

その理由として「一定額(130万円)を超えると配偶者の健康保険、厚生年金保険の被扶養者からはずれ、自分で加入しなければならなくなるから」と回答した割合は57.3%に達しました。また、「一定の労働時間を超えると雇用保険、健康保険、厚生年金保険の保険料を払わなければならないから」と回答した割合も21.4%となっているのです。

「税金の壁」「社会保険の壁」に次いで問題となるのは、企業などが独自に設けている「配偶者手当に関する壁」です。

 日本では大企業を中心に扶養家族がいる場合に手当を支給してきました。「家族手当」「扶養手当」「配偶者手当」などの名称で呼ばれ、金額は企業によってさまざまです(中小・零細企業などでは、こうした手当を制度化していないケースもあります)。

 配偶者に対する手当はおおむね、配偶者の年収が一定水準以下であることを条件としています。多くの場合、配偶者の社会保険加入を目安にしており、配偶者の年収が106万円以下か130万円以下を支給の境目としているところが多くなっています。

 したがって、「社会保険の壁」を超えて働くと、企業の配偶者手当が打ち切られるケースも多く、世帯収入が減少する可能性が高くなります。

 配偶者(主に女性)が社会に出て働くためには、さまざまな「壁」が存在します。しかし、全体像を眺めてみると、こうした制度は「男が稼ぎ、女は家事を担う」という戦後日本を象徴する考え方に基づくものだったことがわかります。

 税金や社会保険の「壁」は、個人ではなく世帯を中心として制度設計された結果です。女性を家庭に閉じ込めて家事・育児を担わせるために、年収が一定額を超えると税制面で不利になるようにしたとも言えます。

 性別役割分業を前提に作られたこの制度は、戦後の高度経済成長期にほぼ出来上がり、経済成長最優先で突っ走ってきた日本社会を形作りました。

いま、政界では「103万円の壁を見直して手取りを増やす」という案が前面に打ち出されていますが、女性の権利や社会進出を阻む他の制度なども含めて総合的な見直しを図らないと、せっかくの機運も政争の具となるだけになってしまいます。

さらに注意点があります。壁を上げても各種控除、手当てがなくなっては意味がなくなります。財務省は当然税の減収になり判定しますが、この各種控除、手当てを廃止することでバランスを取ろうともしています。国民としてしっかり見つめる必要性があります。