日本が漁業大国から転落した理由
最近、魚が高くなっていることにお気づきでしょうか。昔はどこの居酒屋でも、皿からはみ出るようなホッケやサンマを安い価格で食べられましたが、いつの間にかお得な水産物を見なくなったのではないかと思います。
総務省の家計調査によると、生鮮肉の1世帯当たり年間支出金額はほぼ横ばいですが、生鮮魚介のそれは上昇傾向で、2020年から3年で約23%も高くなりました。水産物は肉よりも割高な食材になってしまったのです。
次の画像は世界と日本の漁業生産量です。
日本の天然の漁獲量は、1984年の1159万トンから減少に転じ、2022年には297万トンまで減りました。現在も直線的に減っていますが、その要因は水産資源の減少にあります。また、養殖生産も1988年のピークの143万トンから、2022年に94万トンまで減っています(2022年は漁獲と養殖で合計391万トン)。日本中の漁業者が「魚がいない」とぼやいている現状があります。
2022年の漁労所得は個人経営体で284万円でした。うち132万円は制度受取金の為、漁業による実質的な利益は更に少なくなります。
企業経営体による収益は4823万円の赤字です。漁業経営統計が始まった2001年から常に赤字が続いています。儲からない上に資源も減少し、先行きが暗いことから、漁師の子が漁業を継がず、漁業従事者の縮小と高齢化が進んでいく悪循環になっています。
しかし、世界的に見ると漁業は成長産業なのです。漁獲量は1990年代から横ばいを維持しており、日本のように減ってはいません。養殖生産は一気に増え、2013年に天然の生産を追い抜いた後も増加を続けています。水産物の価格は世界的に伸びているので、生産金額も膨らんでいます。ノルウェー等多くの先進国でも漁業は利益を生みました。こうした国と日本との差は、漁業政策の違いで説明できます。
戦後から1970年代まで、日本の漁業は儲かる職業でした。漁港の周りには繁華街が広がり、腹巻きに札束を詰めた漁師達が毎晩のように豪遊をしていました。当時は沿岸国の権利が狭い領海に限られ、日本は世界の海で好きなだけ魚を獲れたからです。発展途上国等漁業が盛んでない国の沿岸に未利用の水産資源が多くあり、これらを開発することで日本の漁業は成長しました。
過剰な数の漁船を世界中に送り出し、日本近海の資源は比較的良好でした。一方、日本は獲れるだけ獲り、資源が枯渇したら漁場や魚種を変えるという、目先ばかりで持続可能性を無視した“自転車操業”を世界中で展開した為、沿岸国の漁業とは摩擦が生じていました。
他国の漁場を自由に利用できた公海自由の時代には、より速く、より多く獲る技術で、日本漁業は世界をリードしていました。しかし1980年前後から、沿岸国は200海里(約370㎞)の排他的経済水域(EEZ)を設定し、他国の漁船を閉め出すことになりました。日本は従来利用してきた世界中の漁場を失うことになり、自転車操業は完全に行き詰まってしまったのです。
本来なら、この時点で漁業のやり方を変えなくてはいけなかったといえます。自国のEEZ内の漁業生産を維持するには、規制で、限られた資源を大切に扱うことが求められます。漁獲量は増やせないので、漁業の利益を増やすには、高く売らなければならなくなります。EEZ時代の漁業には、漁獲能力よりも寧ろ、資源を持続的に利用する為の漁獲規制と、水産物の価値を高めるマーケティングが重要といえます。
欧州や北米、オセアニア等先進国の多くは、厳格な漁獲規制を導入した結果、減少していた水産資源が回復して豊かな海が戻ってきました。水産物を高付加価値化する品質改善にも取り組んでいます。EEZの枠組みに適応しようと、政策や産業構造を改革し、漁業を成長産業にしていったのです。
反面、日本は資源減少の問題を先送りし、場当たり的に多くの魚を獲る漁業を延命すべく、赤字を公的資金で補填したり、補助金で漁船を建造したりしています。国内の漁獲規制はあってないようなもので、実質獲り放題です。必要な変化を拒み自滅していると言ってよいのではないでしょうか。
「今でも生活が苦しいのに、漁獲量まで規制されたら食っていけない」と多くの漁業者達は漁獲規制に反発しています。日本政府は漁業者の生活を守る為と称し、規制を骨抜きにしました。結果的に魚はいなくなり、雇用は失われ、漁業は衰退、地域の限界集落化が進んでいます。そしてその不足分は輸入に頼ることになります。生活を守るどころか、産業を破壊し、地域を消滅させているから、本末転倒としか言えません。
2018年、政府は規制強化を目的に漁業法を改正しましたが(2020年施行)、漁業者の反対で規制は一向に進まず、衰退は続いています。持続可能性を欠いた漁業は、“安い=正義”の消費文化によって支えられています。日本の消費者は環境問題に無頓着ですが、値段の安さには強く拘ります。消費者に安く売ろうとスーパーマーケット等量販店は、できるだけ安く調達するよう企業努力をしています。
利益が出ないほど買い叩かれるので、漁業者は量を多く獲るしか選択肢がなく、空っぽの海に出かけ、一生懸命に網を引いています。残ったのは、多くを獲る“大漁”をよしとしてきた漁業文化や、現状を維持して業界の短期的利益を代弁する陳情政治です。
メディアも構造問題には触れず、「日本の漁業が衰退したのは、消費者の魚離れや中共による乱獲、地球温暖化等外部要因が原因」としてきました。
若しも消費者の魚離れが原因なら水産物の価格は下がる筈ですが、現実は寧ろ上がっています。需要より供給が原因なのは明らかです。また、外国による漁業が問題なら、日本のEEZ外で他国もアクセスが許される資源の筈ですが、日本しか獲れない北海道や瀬戸内海、太平洋側の沿岸性の資源も同様に減っています。国内で規制可能な資源について、過剰漁獲を放置しているのが実態です。
更には、温暖化で漁獲量が減っているというなら世界中で漁業生産が減少する筈なのですが、世界の漁業生産量は1990年代から安定的に推移しています。地球規模の温暖化によって日本だけ生産量が減るというのは非合理的な話です。
実際に日本のEEZは世界第6位の広さで、世界屈指の良い漁場が存在します。きちんと漁獲規制をすれば、高い生産量を安定して維持することができるはずです。
これは、外圧で規制を始めたクロマグロが急速に増えたことからもわかると思います。日本には調理や加工の技術があり、魚を美味しく食べる技術は世界から高く評価されています。付加価値を上げる余地は大いにあるのではと思います。
日本には新時代の漁業にとっての好条件が揃いますが、ポテンシャルを発揮するには漁業全体の仕組みを変えなければならないと思います。今後も水産物を食べ続けられるかは、自らの構造的な問題と向き合えるかどうかに懸かっているのではないでしょうか。