教育勅語そして修身とは

私は、教育勅語と修身を「道徳」という授業と共にその一環として何としても復活してほしいと思っています。まさしくそれこそ安倍総理の言う「日本を取り戻す」大きな一つであると確信しています。

森友学園の塚本幼稚園の話題と共に再び光が当たった「教育勅語」、このどこに軍国主義的教育があり、悪い意味での風権的道徳があると言えるのか、私にはとても理解できません。マスコミや左翼、一部の教育評論家、教育勅語のどこがどのように悪く、どんな理由で批判をするのか、理路整然とぜひとも述べてもらいたいと思います。

古谷とかいう見た目どうしてもチャラ男にしか見えない人物が、上から目線で押し付けられるは許せないなどと発言をしています。左翼独特の自分中心主義が露呈したというところですが、「教育勅語」は幼児や子供に対する教育です。教育ですから押しつけということでもなく、何も大人に教育することでもありません。一人前の大人には日本人として常識なことです。この古谷のような左翼思想がいるからこそ「教育勅語」が必要なのです。

左翼が一斉に「教育勅語」を「戦争に向かわせる」などと言って攻撃していますが、そもそも左翼のような軽薄な売国奴がいなかったなら、「教育勅語」が発布されることもなかったと思います。まあ逆を言えば、左翼がいたおかげで日本人の美徳が「教育勅語」という形で後世に残ることになったと言えます。まあ悪にも少しは功罪があります

共産党の志位委員長は記者会見で、「現在にも通用する徳目が書かれていると言って、教育勅語を肯定する議論があるが、教育勅語の本質を全く知らない無理解から生まれているものだ。全部の徳目の結論は、いったん事が起これば、天皇のために命を投げ出すという究極の命題につながっている」と指摘しました。

そのうえで、志位氏は「部分的にも真理があるなどといった認識は、絶対に日本国憲法の下で許されないもので、衆参両院の失効決議を全く無視するものだ。そうしたことを、防衛大臣が口にするのは、大臣としての資質が問われる問題だ」と発言。
共産党からすれば、現憲法を擁護しているにも関わらず天皇陛下は否定し、下記に掲げる「教育勅語」まで憲法違反という、まさしく民主主義の全否定ということを自ら認めたことになっています。

そもそも明治天皇がこの御勅語を御下し遊ばされた理由は、日本独自の美徳を外来思想から守るためでした。外来思想とは明治維新後にわが国に流入してきた日本独自とは言えない民主主義(デモクラシー)、自由主義、個人主義のことです。
第一次世界大戦後には共産主義(ユダヤ思想=マルクス思想=世界統一思想)もわが国に流入してきました。これらのひたすら「個人の利益、自由、平等」を訴える外来思想は、「国」という大きな命のことを考える日本人の精神を侵し始めることになります。

「個の利益」とは旧民主党の「こども手当」のように「国を食いつぶす」ことにほかならないと思います。教育評論家?の尾木直樹氏が塚本幼稚園の「教育勅語」を批判して、以下のように発言をしました。
「戦後日本は、天皇の人間宣言で戦前の天皇主義から民主主義になった」。元教員だか戦後生まれなのか知りませんが、戦後教育にやられた典型的な人間なのでしょう。「天皇主義」などという言葉は日本にはありません。天皇陛下の存在そのものが我が国体なのです。
戦後の民主主義は米国によりもたらされた民主主義であり、日本独自の民主主義ではないと思います。日本には民主主義などという言葉より「君臣一体」の国柄により国家が継続されてきたからです。

日本以外に天皇陛下を中心として君臣一体となりまとまっている国はありません。戦後の日本は「国民主権」などと言い。外国人がつくった占領基本法にも書いてあり、これが正しいように言いいますが、日本国憲法にある国民の主権は「恩賜権利」であり、日本国憲法の発布により天皇陛下から賜れた権利なのです。

左翼の言う「国民主権」の源流は日本ではありません。欧州における歴史は君民の対立や抗争の歴史であり、革命を起こして君主制を滅ぼしてきており、「国民主権」という言葉はは「専制君主の圧政」に抵抗するために生み出された革命思想なのです。
ですから君臣一体の歴史を持つ日本の国柄には全く合わない、左翼思想なのです。
日本の歴史には、天皇陛下と国民が対立抗争した歴史は全くありません。このことをきちんと理解しない戦後の左翼日本人が「国民主権」を、民主主義だと思い違いをしているのです。

下記に「教育勅語」の、12の徳目を現代文でも示しました。これをおかしい、間違いだと批判する人は、私はもう日本人いや人として失格だと思います。戦争反対そして世界平和を主張するなら、全世界の人間が教育勅語を理解し、実践するなら戦争は起こらず世界は平和であり続け、差別もない世の中になることは間違いないと思います。

教育勅語とは、明治23年に発表された日本の教育の根幹と国民の培うべき徳行を説いた勅語で、正式には「教育ニ関スル勅語」というものです。教育勅語には、日本人が祖先から受け継いできた豊かな感性と伝統的道徳観が込められており、人が生きてゆく上で心がけるべき徳目が、12の項目に別けられて簡潔に述べられております。当時の学生達は全員、この教育勅語を暗唱でき、学校では修身を学び、道徳観を養ってきているのです。

「教育勅語」12の徳目とは
1.父母ニ孝(こう)  「 親や先祖を大切にしましょう」
2.兄弟(けいてい)ニ友(ゆう) 「兄弟仲良くしましょう」
3.夫婦相和(あいわ)シ   「夫婦はいつまでも仲むつまじくしましょう」
4.朋友(ほうゆう)相信ジ  「友達はお互いに信じあいましょう」
5.恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ  「自分の言動を慎みましょう」
6.博愛衆(しゅう)ニ及ボシ   「広くすべての人に愛の手をさしのべましょう」
7.学ヲ修メ業(ぎょう)ヲ習ヒ  「勉強にはげみ技能を身につけましょう」
8.智能ヲ啓発シ   「知徳を養い才能を伸ばしましょう」
9.徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ   「人格の向上につとめましょう」
10.公益(こうえき)ヲ広メ、政務(せいむ)ヲ 開キ 「広く世の人々や社会のためにつくしましょう」
11.國憲ヲ重(おもん)ジ、國法ニ遵(したが)ヒ  「規則に従い社会の秩序を守りましょう」
12.一旦緩急(かんきゅう)アレバ、義勇公(こう)ニ奉(ほう)ジ  「勇気をもって世のためにつくしましょう」

昭和20年の終戦以来72年間、「教育勅語」といえば、軍国主義教育の象徴・封建的な古い道徳で、民主主義教育にはそぐわないとして教育界から追放されています。GHQ(マッカーサー占領軍)ですら手を付けなかった(実際は国際的に余りにも有名なため手を付けられなかった)教育勅語を、日本の衆議院・参議院が自発的に「排除決議」したのは、日本人として極めて情けないことです。日本とは反対に、世界各国では今も昔も教育勅語は高く評価されています。

教育勅語の再評価を行う側の主な主張は、教育勅語の十二の徳目の内容が国民の道徳教育上優れた内容であり、そこに問題はないとする主張です。教育勅語を否定する側の主張は主に、それが明治からの天皇崇拝と軍国主義を教育する内容であるという主張です。
教育勅語の具体的にどこが天皇崇拝と軍国主義教育にあたるかを考えるにあたっては、現在神社本庁が積極的に配布している「教育勅語の口語訳文」が参考となります。この口語訳文には、下記の

箇所が、意訳されています。
・皇祖皇宗→私たちの祖先
・臣民→国民
・国体→日本
・一旦緩急あれば、義勇公に奉し→非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。
・天壌無窮の皇運を扶翼すべし→私たちの祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。
・之を中外に施して悖らず→外国で行っても、間違いのない道であります

教育勅語を批判・非難する学者・政治家・評論家・マスコミも、その成立の由来を知れば認識を改めることになるのではないでしょうか。
教育勅語は、明治天皇想の蔓延側の布告でも、政府の指令でもありません。明治維新後の規範意識の欠如・道徳の退廃・伝統文化の無視・舶来思・学校教育の混乱で困り果てていた「全国知事会」の、6年越しの教育再建運動が実を結んだものです。

教育勅語に対する海外の評価
明治38年7月、ロンドン大学のリュッカー学長より、在ロンドン日本大使館を通じて日本国政府に「ロンドン大学での日本の教育に付いての講演会」の依頼がありました。日本政府は、英国に2度の留学経験があり、東京大学総長、文部大臣も歴任した教育行政の大家の菊池大麓男爵を英国に派遣しました。菊池男爵は自ら教育勅語の英訳に着手し、牧野伸顕文部大臣と菊池大麓を含む10人の専門家で何度も討議の上、東京大学の英国人教師のローレンスとロイドの2人の意見も聞き、更に、当時来日していたエール大学のラッド名誉教授にも見て貰い、「官定翻訳教育勅語」が完成しました。
菊池男爵は、明治39年12月に日本を出発し、翌年の1月に英国に到着して、2月14日からロンドン大学における講演を開始しました。菊池男爵のロンドン大学における7ヶ月間の間に行われた25回に及ぶ講演記録は、2年後の明治42年に、英文の「日本の教育」として出版され、英国のマスコミ、教育界で大きな反響を呼びました。

戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ) が教育勅語の朗読と神聖的な取り扱いを禁止しました。決して教育勅語そのものを否定してはいません。
昭和23年6月19日に衆議院が「教育勅語等排除に関する決議」を参議院が「教育勅語等の失効確認に関する決議」を決議しました。

かつて日本には、修身という教科が、小学校で教えられていました。修身では、努力、友情、親孝行、公益、正直など、25項目に及ぶ徳目を日本人にとって馴染みの深い過去や現代の偉人や有名人の言葉やエピソードをふんだんに用いて教えていました。徳目の一つ一つを知識教育で定義や理屈を教授するのではなく、実在した人々のエピソードから生の体験として、一人一人が感じ取って行くことが出来るような道徳教育をしており、修身で扱われた徳目には、下記の内容がありました。

修身の教科書で扱われた25の項目
家庭のしつけ、親孝行、家族・家庭、勤労・努力、勉学・研究、創意・工夫、公益・奉仕、進取の気象、博愛・慈善、資質・倹約、責任・職分、友情、信義・誠実、師弟、反省、正直・至誠、克己・節制、謝恩、健康・養生、武士、愛国心、人物・人格、公衆道徳、国旗と国家、国際協調

「勉学・研究」には、野口英世、本居宣長などのエピソード。「親孝行」には、二宮金次郎のエピソード、「資質・倹約」には、徳川光圀などのエピソードというように教えられていました。これら徳目の一つ一つを読めばわかるように、時代や国、文化に縛られない普遍的な人の有り様を伝える内容がほとんどで、今の時代にも修身を教育の場に取り入れる価値は、十分にあると思います。

修身の歴史
明治36年に文部省より国定修身教科書という、修身の教科書が発行され、この教科書に基づいて修身教育が行われました。修身教育は、明治、大正、昭和と3つの世代を通じて長い間日本人の精神形成の中心的な役割を担ってきました。そして、修身は、昭和20年の敗戦にともない、同年12月31日の占領軍指令「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」で授業の停止と教科書回収が決定され、日本の教育の現場から姿を消してしまいました。

海外における修身の復活
日本では、既に過去のものとして社会から消え去ってしまった日本の修身が、アメリカでレーガン大統領の時代に米国の若者への道徳教育の為の新たな指針と言うことで、日本の修身が再認識され、米国の教育の道徳教育で使われるようになったのです。米国の道徳教育改革を担っていた米国の文部長官を務めたW・ベネット氏は、レーガン政権の道徳教育の担当者としての知識を「The Book of Virtues」(道徳読本)という本にして出版しました。

日本を取り戻す、教育においては、道徳の時間として教育勅語と修身の復活です。

参考文献 小池松次著「修身の教科書」(サンマーク出版)